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2006年04月12日
1966年を再構成
新潮3月号で建築家の磯崎新という人の文の中に、世紀が変わったからといってすぐに全部が変わるわけではなく、たとえば19世紀が19世紀らしくなるのが1830年頃から、20世紀では1915年頃から、スピードが2倍になっている。こう考えると21世紀では2007、8年頃から新しい概念なり、文化なりが起こる、 らしい。最先端のところではだ。それが一般化されるまでに、またどれぐらいかかるのかはわからないが。
それからこの人は20世紀人の自分の作品も所詮1915年のエコーに過ぎないと1968年に気付くいたらしい。
さて2006年の現在、僕はどこに立っているんだろうと思う。広く20世紀的なもので僕が連想するのはシュルレアリスム。その流れの延長としてのサイケデリックと解釈している。
1966年とはpopsの世界では、それまでのオールディーズのカクテルパーティー的なものから、サイケに移行し始めた年。それを僕は再構成しようとしているのだが、これも1915年のエコーに過ぎないのかもしれない。20世紀的なものの終焉を意味してるのかもしれないし。
でも 今は これをやる事に 意味がある、と思う。直感で動くほうなので、あまり意味は考えない。ただ そこに 引き寄せられて 行く 感じです。
それからこの人は20世紀人の自分の作品も所詮1915年のエコーに過ぎないと1968年に気付くいたらしい。
さて2006年の現在、僕はどこに立っているんだろうと思う。広く20世紀的なもので僕が連想するのはシュルレアリスム。その流れの延長としてのサイケデリックと解釈している。
1966年とはpopsの世界では、それまでのオールディーズのカクテルパーティー的なものから、サイケに移行し始めた年。それを僕は再構成しようとしているのだが、これも1915年のエコーに過ぎないのかもしれない。20世紀的なものの終焉を意味してるのかもしれないし。
でも 今は これをやる事に 意味がある、と思う。直感で動くほうなので、あまり意味は考えない。ただ そこに 引き寄せられて 行く 感じです。
Posted by kenjifreaks at 15:27│Comments(0)