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2009年12月05日
詩人
酒場にて 中原中也
今晩あゝして元気に語り合つている人々も
実は、元気ではないのです。
近代(いま)という今は尠(すくな)くも、
あんな具合な元気さで
いられる時代(とき)ではないのです。
諸君は僕を、「ほがらか」でないといふ。
しかし、そんな定規みたいな「ほがらか」なんぞはおやめなさい。
ほがらかとは、恐らくは、
悲しい時には悲しいだけ
悲しんでられることでせう?
されば今晩かなしげに、こうして沈んでいる僕が、
輝き出でる時もある。
さて、輝き出でるや、諸君は云ひます、
「あれでああなのかねえ、
不思議みたいなもんだねえ」。
が、冗談じやない、
僕は僕が輝けるように生きていた。
都会の夏の夜
月は空にメダルのやうに、
街角に建物はオルガンのやうに、
遊び疲れた男どち唱ひながらに帰つてゆく。
――イカムネ・カラアがまがつてゐる――
その唇はひらききつて
その心は何か悲しい。
頭が暗い土塊になつて、
ただもうラアラア唱つてゆくのだ。
商用のことや祖先のことや
忘れてゐるといふではないが、
都会の夏の夜の更―
死んだ火薬と深くして
眼に外燈の滲みいれば
ただもうラアラア唱つてゆくのだ。
夏の夜
あぁ 疲れた胸の裡(うち)を
桜色の 女が通る。
夏の夜の水田の滓(おり)、
怨恨は気が遠くなる
ー 盆地をめぐる山は巡るか?
裸足(らそく)はやさしく
砂は底だ、
開いた瞳は おいてきぼりだ、
霧の夜空は 高くて黒い。
霧の夜空は高くて黒い、
親の慈愛はどうしようもない、
- 疲れた胸の裡(うち)を 花弁(かべん)が通る。
疲れた胸の裡(うち)を 花弁(かべん)が通る
ときどき銅鑼(ごんぐ)が著物に触れて。
靄(もや)はきれいだけれども、暑い!
独身者
石鹸箱には秋風が吹き
郊外と、市街を限る路の上には
大原女(おおはらめ)が一人歩いていた
―彼は独身者〈どくしんもの〉であつた
彼は極度の近眼であつた
彼はよそゆきを普段に着ていた
判屋奉公したこともあつた
今しも彼が湯屋から出て来る
薄日の射してる午後の三時
石鹸箱には風が吹き
郊外と、市街を限る路の上には
大原女が一人歩いていた
※大原女 山城国大原(京都府京都市左京区大原)の女子が
薪を頭に載せて京の都で売ることをさす。
行商たる販女(ひさめ)の一種。
見しらぬ犬 萩原朔太郎
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
みすぼらしい、後足でびつこをひいている不具(かたわ)の犬のかげだ。
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
わたしのゆく道路の方角では、
長屋の家根がべらべらと風にふかれている、
道ばたの陰気な空地では、
ひからびた草の葉つぱがしなしなとほそくうごいて居る。
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
おほきな、いきもののやうな月が、ぼんやりと行手に浮んでいる、
さうして背後(うしろ)のさびしい往来では、
犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきずつて居る。
ああ、どこまでも、どこまでも、
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
きたならしい地べたを這ひまはつて、
わたしの背後(うしろ)で後足をひきずつている病気の犬だ、
とほく、ながく、かなしげにおびえながら、
さびしい空の月に向つて遠白く吠えるふしあはせの犬のかげだ。
群集の中を求めて歩く
私はいつも都会をもとめる
都会のにぎやかな群集の中に居ることをもとめる
群集はおほきな感情をもつた浪のやうなものだ
どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛欲と
のぐるうぷだ
ああ ものかなしき春のたそがれどき
都会の入り混みたる建築と建築との日影をもとめ
おほきな群集の中にもまれてゆくのはどんなに樂しいことか
みよこの群集のながれてゆくありさまを
ひとつの浪はひとつの浪の上にかさなり
浪はかずかぎりなき日影をつくり 日影はゆるぎつつ
ひろがりすすむ
人のひとりひとりにもつ憂ひと悲しみと みなそこの
日影に消えてあとかたもない
ああ なんといふやすらかな心で 私はこの道をも歩
いて行くことか
ああ このおほいなる愛と無心のたのしき日影
たのしき浪のあなたにつれられて行く心もちは涙ぐま
しくなるやうだ。
うらがなしい春の日のたそがれどき
このひとびとの群は 建築と建築との軒をおよいで
どこへどうしてながれ行かうとするのか
私のかなしい憂鬱をつつんでゐる ひとつのおほきな
地上の日影
ただよふ無心の浪のながれ
ああ どこまでも どこまでも この群集の浪の中を
もまれて行きたい
浪の行方は地平にけむる
ひとつの ただひとつの「方角」ばかりさしてながれ行かうよ。
歌 中野重治
おまえは歌うな
おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべてのものうげなものを撥(はじ)き去れ
すべての風情(ふぜい)を擯斥(ひんせき)せよ
もつぱら正直のところを
腹の足(た)しになるところを
胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え
たたかれることによつて弾ねかえる歌を
恥辱の底から勇気を汲みくる歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ
それらの歌々を
行く行く人びとの胸廓(きようかく)にたたきこめ
プラネタリウムで 足立巻一
おれはとうとう いくところがなくなった。
プラネタリウムの階段を のろのろとのぼる。
手すりには重いほこり。
窓からは交差した運河。
やがておれは
だだっぴろい客席にたった一人すわる。
ブザーがなる。
電灯が消える。
頭蓋の内側
半球体のスクリーンに
水色の夕ぐれがはじまる。
一番星がともり
刻々 夜が濃度を加える。
アンドロメダ星雲が流れ
オリオン座が移動し
滝のような流星がおこる。
人口の星どもはまたたくことをしないが
おれの腸の内壁では
負けた日々が花火のようにはじけだす。
クビキリ反対!
ゴロツキ社長を追出せ!
石炭箱のうえで おれはどなりまくる。
演説、拍手、合唱、デモ、、、、
流星はまだつづいている。
一銭のたくわえもないのです、
ゴマシオ頭が泣きだす。
就職を保証せよ、
若い組合員が迫り
女はぐうたらな男に身をまかせる。
執行部改選、人員整理、、、、
はげしい流星は終わった。
ケンタウルスがかたむき
サソリ座がずり落ち
青ざめた溶明がはじまる。
六十分の夜が終わり
作られた夜あけがきたのだ。
ふたたび ブザーがなり
そして
おれは
まっひるまの街にほうり出される、
方向をうしなって。
※「詩と思想」33/ 1986年4月10日発行より
今晩あゝして元気に語り合つている人々も
実は、元気ではないのです。
近代(いま)という今は尠(すくな)くも、
あんな具合な元気さで
いられる時代(とき)ではないのです。
諸君は僕を、「ほがらか」でないといふ。
しかし、そんな定規みたいな「ほがらか」なんぞはおやめなさい。
ほがらかとは、恐らくは、
悲しい時には悲しいだけ
悲しんでられることでせう?
されば今晩かなしげに、こうして沈んでいる僕が、
輝き出でる時もある。
さて、輝き出でるや、諸君は云ひます、
「あれでああなのかねえ、
不思議みたいなもんだねえ」。
が、冗談じやない、
僕は僕が輝けるように生きていた。
都会の夏の夜
月は空にメダルのやうに、
街角に建物はオルガンのやうに、
遊び疲れた男どち唱ひながらに帰つてゆく。
――イカムネ・カラアがまがつてゐる――
その唇はひらききつて
その心は何か悲しい。
頭が暗い土塊になつて、
ただもうラアラア唱つてゆくのだ。
商用のことや祖先のことや
忘れてゐるといふではないが、
都会の夏の夜の更―
死んだ火薬と深くして
眼に外燈の滲みいれば
ただもうラアラア唱つてゆくのだ。
夏の夜
あぁ 疲れた胸の裡(うち)を
桜色の 女が通る。
夏の夜の水田の滓(おり)、
怨恨は気が遠くなる
ー 盆地をめぐる山は巡るか?
裸足(らそく)はやさしく
砂は底だ、
開いた瞳は おいてきぼりだ、
霧の夜空は 高くて黒い。
霧の夜空は高くて黒い、
親の慈愛はどうしようもない、
- 疲れた胸の裡(うち)を 花弁(かべん)が通る。
疲れた胸の裡(うち)を 花弁(かべん)が通る
ときどき銅鑼(ごんぐ)が著物に触れて。
靄(もや)はきれいだけれども、暑い!
独身者
石鹸箱には秋風が吹き
郊外と、市街を限る路の上には
大原女(おおはらめ)が一人歩いていた
―彼は独身者〈どくしんもの〉であつた
彼は極度の近眼であつた
彼はよそゆきを普段に着ていた
判屋奉公したこともあつた
今しも彼が湯屋から出て来る
薄日の射してる午後の三時
石鹸箱には風が吹き
郊外と、市街を限る路の上には
大原女が一人歩いていた
※大原女 山城国大原(京都府京都市左京区大原)の女子が
薪を頭に載せて京の都で売ることをさす。
行商たる販女(ひさめ)の一種。
見しらぬ犬 萩原朔太郎
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
みすぼらしい、後足でびつこをひいている不具(かたわ)の犬のかげだ。
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
わたしのゆく道路の方角では、
長屋の家根がべらべらと風にふかれている、
道ばたの陰気な空地では、
ひからびた草の葉つぱがしなしなとほそくうごいて居る。
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
おほきな、いきもののやうな月が、ぼんやりと行手に浮んでいる、
さうして背後(うしろ)のさびしい往来では、
犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきずつて居る。
ああ、どこまでも、どこまでも、
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
きたならしい地べたを這ひまはつて、
わたしの背後(うしろ)で後足をひきずつている病気の犬だ、
とほく、ながく、かなしげにおびえながら、
さびしい空の月に向つて遠白く吠えるふしあはせの犬のかげだ。
群集の中を求めて歩く
私はいつも都会をもとめる
都会のにぎやかな群集の中に居ることをもとめる
群集はおほきな感情をもつた浪のやうなものだ
どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛欲と
のぐるうぷだ
ああ ものかなしき春のたそがれどき
都会の入り混みたる建築と建築との日影をもとめ
おほきな群集の中にもまれてゆくのはどんなに樂しいことか
みよこの群集のながれてゆくありさまを
ひとつの浪はひとつの浪の上にかさなり
浪はかずかぎりなき日影をつくり 日影はゆるぎつつ
ひろがりすすむ
人のひとりひとりにもつ憂ひと悲しみと みなそこの
日影に消えてあとかたもない
ああ なんといふやすらかな心で 私はこの道をも歩
いて行くことか
ああ このおほいなる愛と無心のたのしき日影
たのしき浪のあなたにつれられて行く心もちは涙ぐま
しくなるやうだ。
うらがなしい春の日のたそがれどき
このひとびとの群は 建築と建築との軒をおよいで
どこへどうしてながれ行かうとするのか
私のかなしい憂鬱をつつんでゐる ひとつのおほきな
地上の日影
ただよふ無心の浪のながれ
ああ どこまでも どこまでも この群集の浪の中を
もまれて行きたい
浪の行方は地平にけむる
ひとつの ただひとつの「方角」ばかりさしてながれ行かうよ。
歌 中野重治
おまえは歌うな
おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべてのものうげなものを撥(はじ)き去れ
すべての風情(ふぜい)を擯斥(ひんせき)せよ
もつぱら正直のところを
腹の足(た)しになるところを
胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え
たたかれることによつて弾ねかえる歌を
恥辱の底から勇気を汲みくる歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ
それらの歌々を
行く行く人びとの胸廓(きようかく)にたたきこめ
プラネタリウムで 足立巻一
おれはとうとう いくところがなくなった。
プラネタリウムの階段を のろのろとのぼる。
手すりには重いほこり。
窓からは交差した運河。
やがておれは
だだっぴろい客席にたった一人すわる。
ブザーがなる。
電灯が消える。
頭蓋の内側
半球体のスクリーンに
水色の夕ぐれがはじまる。
一番星がともり
刻々 夜が濃度を加える。
アンドロメダ星雲が流れ
オリオン座が移動し
滝のような流星がおこる。
人口の星どもはまたたくことをしないが
おれの腸の内壁では
負けた日々が花火のようにはじけだす。
クビキリ反対!
ゴロツキ社長を追出せ!
石炭箱のうえで おれはどなりまくる。
演説、拍手、合唱、デモ、、、、
流星はまだつづいている。
一銭のたくわえもないのです、
ゴマシオ頭が泣きだす。
就職を保証せよ、
若い組合員が迫り
女はぐうたらな男に身をまかせる。
執行部改選、人員整理、、、、
はげしい流星は終わった。
ケンタウルスがかたむき
サソリ座がずり落ち
青ざめた溶明がはじまる。
六十分の夜が終わり
作られた夜あけがきたのだ。
ふたたび ブザーがなり
そして
おれは
まっひるまの街にほうり出される、
方向をうしなって。
※「詩と思想」33/ 1986年4月10日発行より
Posted by kenjifreaks at 03:07│Comments(0)